朝日新聞2月25日版「障害者が狙われて」を読んで

相模原の障碍者施設で重度障碍者が殺害されるという悲惨な事件が起きました。東京大学准教授として脳性麻痺の障害で車いす生活を送る熊谷さんとダウン症の娘と暮らしている和光大学名誉教授の最首さんが対談していました。この内容について、とても興味深く読ませていただきました。

熊谷さんは、植松容疑者に障碍者と同じ不安を抱えていなかったのかを確かめたいと言っています。「競争に敗れれば次々に不要とされる社会構造の中で、生産能力が劣る人への手厳しさはどんどんエスカレートしている。障害がない人もいつ自分が不要な存在になるのか、不安にさらされています。少ない椅子を奪い合う社会では、より不要とされる人に悪意や攻撃が向かいやすいのです。」と犯行の動機を語っています。最首氏は、「戦後の日本人は自立しなければだめだと生きてきた。米国型の自助が求められ、福祉の世界でも自立を言われている。自立できない者がお荷物になる社会で、自立しようという思いが強いほど、人間関係が断ち切られて孤人になってしまう」と述べています。

今の不安社会をよく表した表現であり、自分にも当てはまり、とても考えさせられました。自分が会社を興し、独立した背景にも、社会人の時に常に競争から敗れて落ちこぼれる不安がありました。それを解消するには、誰にも頼らないで自分の力で生きていかなければ払しょくできないと考えたところがあります。(しかしながら、独立してもやはり周囲の支援がなければ成り立たないということがわかりましたが・・・)

最後に、熊谷氏は「弱いありのままの姿を承認し合えるような人間関係を保てれば、何とか生きられる。」とあり、最首氏は「自立して強くあれということを変えて、弱さの弱さをじかくする必要がある」と結んでいます。

今、私は働く人の心のケアを行っています。会社において、安心して働ける場、失敗が許される場、何でも言える場の重要性を感じています。そのことを今回の事件では、裏付けてくれた気がします。