労経ファイル2019年3月号寄稿 “問われる「良医」の要件”

医療業界の現場にて

筆者は、職業柄いろんな業界の人と話をする機会があります。先日、ある医療機関から職員へ「メンタルヘルスにおけるラインケア」についての研修依頼がありました。それは、上司部下の関係など人間関係においての留意事項について話をしてほしいというものでした。医療機関といえども、業務上の人間関係においては民間企業と同じような悩みを抱えているようです。特に医療機関は、医者や看護師などの国家資格を持つ専門職が多くいるため、職員をまとめ上げる苦労は大変なようです。離職や採用難による人手不足は、職員の負担増と人間関係悪化いう悪循環を医療業界にももたらしています。この医療機関との打合せ時に、よく「良医」という言葉を耳にしました。医療機関の方針に「良医」の概念が使われていました。そこで「良医」について調べてみると面白いことが分かりました。

昔の医療事情

まず、「良医」の記述は江戸時代から頻繁に見られました。江戸時代には身分制度が厳しかった為、自由に職業選択はできませんでした。しかし、医者に限っては誰でもなることが許されていました。そのため次々と志願する人が現れました。極端な話、昨日まで大工だった八つあんが今日から医者になるということが可能であったのです。そのため江戸時代後期には江戸の街だけで2500名ほどの医者がおり、人口400人~500人に1人はいるという過密ぶりになったそうです。落語の小噺に「手遅れ医者」というものがあります。どんな患者が来ても「手遅れじゃ」と言ったとか。ある時、屋根から落っこちた患者が運び込まれて、「いかんな、手遅れじゃ。」と医者が言い、「たった今落っこちたところですよ。いつなら手遅れにならないのですか。」と連れが問うと、医者は「落ちる前に連れてきなさい。」という笑い話です。誰でも比較的に容易に医者になれたため、そんな笑い話も現実味を帯びてきます。それだけ江戸時代には医療が信頼されていない裏返しであったようです。しかし、誰でも医者になれる江戸時代であったとしても腕のいい医者に患者が集まり、腕の悪い医者には自然と患者が集まらず廃業するのが関の山だったようです。また、江戸時代の町医者のほとんどが漢方医学しか知らないため手術を行うこともなく、治療は脈をとって薬を処方することでした。庶民にとっては、医者に診てもらうことは高額な薬代という医療費がかかることを意味していました。高額な医療費が払えないため、医者にかかれない庶民は多くいたようです。

そんな江戸時代に医者について言われたのが、「病を見て人を見ず」というものです。身体の症状の問題ばかりに注意して投薬に終始し、その人の生活や心情を考えようとしない医療への批判です。いくら技術があっても、患者との信頼関係のない医者は、「良医」とは言えないというものです。

現在の医療事情

それでは現在の医療事情を見てみます。まず、医者になるためには難関の医学系の大学に入学し6年間研修と勉強し卒業できなければ、医師国家試験を受験することができません。人の命を預かるという認識の上、しっかりと専門性を磨いています。江戸時代と比べて、誰でもなれるものではなく狭き門となりましたが、信頼度や技術力は確固たるものがあります。今では医者と言えば、権威・尊敬の対象となっています。IPS細胞の作製に成功した京都大学の山中伸弥教授や新しいがん治療薬「オプシーボ」を開発した本庶佑特別教授など新しい薬や医療技術もどんどん進歩しています。医学の進歩は、人類の長寿に貢献していることは間違いありません。人生100年時代もそこまで来ている気がします。

「良医」は変わらず

一方、現在の医療の問題は、診察までには何時間も待たされて、しかも先生との診察は顔を見合わすことなく3分間で終わるということも起こっています。地元の町医者と大病院などの差はありますが、3分間治療では、一人の患者にあまり時間をかけられません。さらに、最近問題になっているのは、多剤併用です。副作用を考えないでどんどん薬だけが増えていることの弊害です。まさに患者を診ないで、病気だけ診ているかのような状況です。これでは、いくら確かな技術があっても医者と患者の間では信頼関係を築くことはできません。3分間でも目を合わせ患者と身体ごと向き合う医者の姿勢を患者は求めています。「良医」に関する患者の思いは、いつの時代も変わっていないようです。すべての医療関係者は、「良医」を実践してほしいものです。